海外ドラマ

ベター・コール・ソウル シーズン5/6

ナチョがかわいそうで、ナチョ・ロスになりますぜ!

Better Call Saul Season5/6
2020年〜2022年 アメリカ カラーHD/4K 41-60分 全10/13話 AMC Netflixで視聴可能 スーパー!ドラマTVで放映
クリエイター:ヴィンス・ギリガン、ピーター・グールド
出演:ボブ・オデンカーク、ジョナサン・バンクス、レイ・シーホーン、ジャンカルロ・エスポジート、マイケル・マンド、パトリック・ファビアン、マーク・マーゴリス、トニー・ダルトン ほか

 やや予定よりは遅れたようだが、ようやくシーズン6まで完了した「ベター・コール・ソウル」。日本ではシーズン5/6はNeflix独占(2022年9月現在)で配信されている。
 シーズン5と6は連続して、兄チャック(マイケル・マキーン)を亡くしたのちに、ジミーが、ソウル・グッドマンに改名し、ブレキング・バッド時代に突入する直前までの人生が描かれる。並行して、ジミーに惹かれるキムの複雑な生い立ちと、結婚、そして最終的な決断。さらにガスとサラマンカ一族の死闘とともに、マイクとの絆の形成、そしてその死闘の犠牲となるナチョやハワードの最後。そして現代に戻り、ソウル・グッドマンが最後の最後にくだす結末が描かれる。

 ストーリーについては、もはや「ネタバレあり」で説明している記事が多数あるので詳しく述べる意味はないと思う。「ブレイキング・バッド」と比較すれば、派手さに欠ける、地味な話ではあろうが、逆に「人間」の本質を丁寧に描いたという意味では、アメリカドラマ史に残る、空前絶後の名作と呼べるだろう。
 ある意味「ブレイキング・バッド」で描ききれなかった、人物の背景、その重みを十二分に説明した・・とも言える。
 最後に向かって、BBファンへのサービスとして、ジェシー(アーロン・ポール)とウォルター(ブライアン・クランストン)も登場するが、このドラマの最後のシーズン2つに至って気になるのは、もちろん「ブレイキング・バッド」に登場していない人物たち、つまりキム・ウェクスラー(レイ・シーホーン)、ハワード・ハムリン(パトリック・ファビアン)、イグナチオ・”ナチョ”・ヴァルガ(マイケル・マンド)の行く末である。

 予想どうりではあるものの、一番悲しい気持ちになるのは、マイケル・マンドが演じた、ナチョ(イグナチオ・ヴァルガ)の最後だ。ナチョは、いい奴なのだ。もちろん、トゥコ(レイモンド・クルス)との関係からサラマンカ一家の手下にされて、ドラッグの販売の仕切り役をやってはいたが、地元でずっと自動車内装の仕事を続けてきた堅気の父親を愛しているし、父親に危害が及ぶことを危惧して、ヘクターに薬を盛って殺そうとした張本人でもある。
 ヘクターが車椅子生活になったことで、メキシコから乗り込んできたラロ・サラマンカの小突かれ、弱みを握られたガスには脅され、両者の狭間で苦闘することになる。
 マイクだけは、ナチョの善良さを見てとってなんとか助けてやろうとするのだが、最終的にはそれも叶わない。ナチョは、「父親だけには手を出させるな」という最後の願いをマイクに託して、ガスの筋書き通り一芝居打って自殺することになる。こんな死に方だとは、予想しなかったのでしばし、ナチョ・ソロになった。
 実はマイクは、ナチョを助けてやれなかったこと悔やんでいて、そのことがのちにBB本編の方で知り合うジェシーを何くれとなく面倒見てやる伏線になっているのだという。そういえば、虚勢を張っていても根が純なところがナチョとジェシーは似ているかもしれない。
 ナチョの死後、どうしても寝覚めの悪いマイクは、ナチョの父親マヌエル(ホアン・カルロス・カントゥ)にナチョが亡くなったことと、ラロには「罰が下ったので心配ない」と伝えに行くが、「それは罰じゃない。復習だ。あんたらギャングはどうしようもない・・」と最後まで正論をつぶやく姿が感動的だ。こういう人間だからこそ、どんなにナチョが説得しても動じない、信念のある人物だったのだ。

 ハワードの亡くなり方にはもっと唖然とする!ハワードは、心底悪いやつではないのだろうが、親の代からの地元上流階級で、平気で人の感情を傷つける無神経さがある。そのことがどうしても癇に障るソウルとキムは、手の込んだイタズラとでも手法でハワードを陥れるのだが・・・、その死は、まさに単なる巻き添えだ。
 ソウルとキムも貧しい出身ながら、弁護士という階級鵜を選んでいる。ハワードはもちろん、親の代からの弁護士だ。弁護士としては、汚い手や危ないやり方で応酬しようとも、法律を度外視はしない。
 それに対してサラマンカ一族や、ガスたちギャングの世界にとって、法律は無意味なものだ。ハワードの巻き添え死は、全然違う世界の人間同士が交わる時に起こった、アクシデントでもある。
 結局、最後までキムはこの巻き添え死を乗り越えることはできない。

 キムの生い立ちについては、これまでのシーズンではあまり語られてこなかったが、この2シーズンではキムとその母親(ベス・ホイト)の関係が明かされる。キムの母親は、いわゆる「毒母」。酒飲みの上に奔放で、キムのどこか硬くなな性格は、彼女への嫌悪感から生じているのを、エピソードが余韻を持って説明している。校門の外で凍えながら向けを待っている少女時代のキム(ケイティー・ベス・ホール)の前に飲酒運転で現れた母親。その車に乗ることを拒否して、雪のなかを歩くキムには泣かされる。
 シーズン6で生き残ったあとに、ジミー(ソウル)の元から去る決断をするキムはある意味、イメージ通りだと思う。

 「ブレイキング・バッド」と題された11話では、フロリダに移住したキムに、電話で拒否された後、ソウル(ジーンを名乗っている)は、ネブラスカで知り合ったタクシー運転手ジェフ(パット・ヒーリー)らとともに再び詐欺を始める。
 その鮮やかな手口のバックに流れる曲が、またとてもいい。マイク・ネスミスがとぼけた調子でギター1本でセルフカヴァーした「タピオカ・ツンドラ」である。「ベター・コール・ソウル」では、「ブレイキング・バッド」ほど音楽の使い方は攻めてはいないが、この曲に関してはブレイキング・バッド調だ。

 もともとモンキーズの1968年のアルバム「蜂と小鳥とモンキーズ」に収録された、マイク・ネスミスのサイケデリック・カントリーロックで、全米3位のヒット・シングル「すてきなバレリ」のB面に収録されていたので、特にアメリカ人にとっては印象深い曲であろう。
 マイク・ネスミスは2021年の12月10日に亡くなってしまったので、このカヴァーはいつ発注したのかと気になったが、どうやら60年代のモンキーズ・オリジナル・レコーディング用のデモとして、マイク自身が録ったもののようだ。
 「理にかなった詩、散文や韻文もある/他の時代で自分を見失い/希望は沈黙の呪文を唱えながら/曇った手がかりを語るかける/それは、私の一部であるはずがない/今や、それはあなたの一部なんだ」という歌詞は、サイケデリックなので意味を読みとるのは難しいが、諦めたような歌いっぷりと、自分を失いつつあるというメッセージがまさにソウルの状況にぴったりの曲である。

 そして最後の3話ほどは、現代の(モノクロ映像で表現される)ソウルの最後の日々。シーズン6では回想部分は9話までにほぼ終わり、10話から13話では今のソウルの状況が説明される。12話と13話は、久々にクリエイターのヴィンス・ギリガンとピーター・グールドがそれぞれ脚本も監督も担当して有終の美を飾る。

 終わり方は、意外ではないがとても心に残る。
 本作の物語は様々な人物を浮き上がらせるが、極言すればソウルとマイクという正反対の二人の物語と言っていいだろう。
 元警官のマイクは、寡黙な男だ。どのような痛みにも耐え、それを説明することは拒否する。本当の人生の苦味をわかっている人物だ。
 それに対して、ソウルは詐欺師的な一面があるが、弁護士が天職である。弁護士は黙っていることができない。どのようにでも言い逃れる術を心得ていても、最後は喋ってしまうことでしか、自分の良心と向き合うことができない。
 その意味で、このエンディングは最後までソウルという人物を全うした終わり方だ!

 米カンヴァセーション誌は「ベター・コール・ソウルの最終回は、我々が知るようなテレビの黄金時代の終わりだろう」というタイトルを掲げ、「映画のような力強い映像と整然としたストーリーテリングを組み合わせて、”自由の国(機会にあふれた国)”の影の部分の複雑な描写を視聴者に提供する」このような名作は消えつつあると書いている。
 素早い刺激優先のストリーミング時代のコンテンツに慣れた視聴者は、もはや本作のような「ストーリーテリングに対する忍耐力を失っている」という指摘だ。

 忍耐の問題かどうかはわからないが、ここまで知的な作品を理解できる視聴者は、日本でも日に日に少なくなっているように思えることだけは確かだな。

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By 寅松