産婦人科医アダムの赤裸々日記
こりゃ、「ちょっと」じゃなくて「かなり痛い」の連続!NHSの現実と英国医師の現実!
2022年 イギリス カラー 45分 全7話 Terrible Productions、Sister/AMC、BBC One Amazon Prime, Huluで視聴可能
クリエイター:アダム・ケイ、ベン・ウィショー 監督:ルーシー・フォーブス、トム・キングスリー 原作:アダム・ケイ(『すこし痛みますよ〜ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』佐藤由樹子訳:羊土社)
出演:ベン・ウィショー、アンビカ・モッド、アレックス・ジェニングス、ミシェル・オースティン、ロリー・フレック・バーンズ、トム・ドゥラント・プリチャード、ハリエット・ウォルター、カディフ・カーワン ほか
うーん、これは強烈だ!ありえないくらいひどい日本語タイトルからは、想像だにできない超名作である!痛烈で、悲しく、リアルで苦しくブラック・・・なのに、最後まで皮肉な笑いを絶やさない!
英国の元医師で実際にNHSでの勤務を経験したコメディアン/作家であるアダム・ケイが自らの体験を綴った『すこし痛みますよ〜ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』を原作に、BBCと「ベターコール・ソウル」「ブレイキング・バッド」の米AMCが金を出し、ケイ自身のテリブル・プロダクションとシスターが共同で製作した。
韓ドラでは名作の一つに数えられている「賢い医師生活」のスピンオフである、「いつかは賢いレジデント生活」(2025)がレジデントの生活を追うのはとのかく、なぜ「産婦人科」?と思ったが、これが元ネタか???
アダム・ケイ自身も登場するインタビュー
ドラマタイトルもひどいが、原作の書籍の「すこし痛みますよ〜」もだいぶニュアンスが違う。日本で医者がよく使う常套句に寄せたかったのだろうが、<This Is Going to Hurt>は、ちょっとどころか「これは、痛いだろ〜!」という雰囲気だ。実際に内容も、「ちょっと」じゃなくて、激痛の日常が語られる。
主人公のアダム(ベン・ウィショー)は、ジュニアドクター(研修医/レジデントにあたるが、前期と後期でだいぶ違い、アダムは後期)としてNHSの病院でレジストラー「代理」を務めている。これが強烈に大変な仕事だ!
なぜかというと慢性的な人出不足で、その労働環境は最悪。設備は老朽化しているし、TCやエコーさえ予算不足で制限されていて、十分に使用できない。
NHSものあるあるではあるが、これは実際に働いていたアダム・ケイの書実を元にしているのでリアルである。
念のために補足しておくとNHS(National Health Service)というのは全ての英国民に無料で医療を提供している英国の皆健康保険制度。全額税金で賄われているところが、日本の健康保険制度とはやや違うが、それゆえに日本以上に慢性的な資金不足という問題を抱えている。イギリス人にとっては、誇るべき制度ではあるが、サッチャー以降、党派に関係なく続く新自由主義的行政のもとで、延々と予算が絞り続けられ、もはやその存続自体が危機に陥っている制度なのだ。
HBOがアメリカ版にリメイクした「ゲッティング・オン」も、元々はBBCが製作したNHS病院を舞台にしたブラックコメディだった。しかし、このドラマの悲壮さは、レベルが違う。
アダムがNHSに勤めていた時期は、イギリスでは労働党政権下だが、「ニュー・レイバー」などという糞スローガンをかかげた、大嘘つきのトニー・ブレア首相とその後継ブラウン首相の時代で、NHSの状況は改善されるどころか、悪化の一途をたどってゆく。
ということで、アダムは仕事量はとっくに限界を迎えているのに、プライベートでは親友の結婚式や、自分がゲイであることを受け入れない母親との確執、パートナー、ハリーとのすれ違いと悩みは絶えない。
さらにはちょっとした気の緩みから若い妊婦エリカ(ハナ・オンスロウ)の妊娠高血圧症を見逃したことで、彼女の子供を25週の未熟児で取り出す羽目になり、そのことで家族から訴えを申し立てられる。
上司である専門医(コンサルタント)のロックハート(アレックス・ジェニングス)は、口先は慰めてくれるが、まともに心配もしてくれない。この薄情さが、非常に英国的だ。
「報告して、私の指示で患者を帰らせた」と言いたまえなどと、口先だけで言ってはくれるが、これを信じて上申書を出したばかりに、アダムはさらなる窮地に立たされる。なんとか、家族からの申し立ては取り下げてもらえたが、今度は病院内の誰かから匿名で申し立てを受けたのだ。
その匿名の申したて者が、信頼していた助産師のトレーシー(ミシェル・オースティン)であったことも、アダムを追い込むことになる。
この件はドラマの中でも少々唐突に見えるので、解説が必要かも知れない。
黒人助産師のトレーシーは、患者から人種差別的な扱いを受けて、それにアダムが怒っても「余計なことはしないで!」と言いすてるほど冷静で、産科病棟を仕切っているベテランだ。
視聴者からすると「起きたら頭が痛くて舌にブツブツができた」「歯がかゆい」と、ねぼけた心配事で医者を煩わせている若い患者のエリカを、アダムが帰らせたのは無理もないと思えるのだが、トレーシーは、それを許さなかった。
ほんのすこししか描写されないのだが、彼女の子供は、どうやらすこし「知的障害」があるようである。エリカという若い妊婦は、ドラマ的にはちょっとしたおバカさんに見えるだけだが、要するに知的ボーダーだということのようだ。
医者としては自信過多で、表現がひねくれているが優しさを持ち合わせているアダム。それでも「知的ボーダー」への配慮が不十分だったということが、トレーシーは許せなかったのではないかと思われる。
ドラマのもう一つの要素が、アダムの下につくSHO(Senior House Officer)のシュルティの成長と苦闘。インド系の初期研修医で、アダムに会うまでは、2ヶ月もの間、そばで見ているだけで何も実践させてもらえなかった彼女だが、アダムに出会って、徐々に仕事を教えてもらえるようになり、さらにもう一人のコンサルタント、ヴィッキー・ホートン(アシュリー・マグワイア)に出会い成長する。
激務の合間を縫って、受験した産婦人科学会の試験にパスした彼女は、確かに後半ではほぼ一人前と見えるほどに成長するのだが・・すでに過労からうつ病の症状を呈しており、手遅れであった。彼女は、カメラに向かって「ごめんなさい、努力はしたのよ」と言い残す。
彼女の自殺は、アダムに強い衝撃を与えた。
自身の将来がかかる、医療過誤審問の場で、後先返り見ず立ち上がって意見を述べたアダムの演説は、まさにアダム・ケイ自身が英国医療に関して言いたかったことに違いない。
「SHOのDr.シュルティ・アチャリは、自ら命を絶ちました・・。ーー崩壊した医療制度の下で、劣悪な条件で働き続ける日々ーー彼女は、いい医者でした。親切で熱心で意思も強かった。でも、耐えられなかった。誰も耐えられないのです。イギリスでは、3週間に一人の医師が自殺しています。ーーこの国には、医師、看護師、助産師、薬剤師、理学療法士が150万人います。彼らは、金や名誉のためには働いていません。それは愛なのです。来る日も来る日も身を粉にして、みんなの健康を守っている。とても尊いことです。それを時に・・思い出して欲しい・・。」
ジャービス・コッカーによるテーマ曲
最初から最後まで血まみれで、そして悲しく痛々しく、ねじくれた笑いが満載。
アダムがカメラに向かって本音を語る手法も、「警部補アニカ」とは違い元が日記なので、必然性がある。
映像的に、すごく凝っていると言うわけでもないが、手持ちが多く臨場感もある。そして音楽がまた素晴らしい。サウンドトラックを担当したのが、最近、パルプを再始動させたジャーヴィス・コッカー。
陰鬱な歌声や曲調がドラマにぴったりだ。
主演のベン・ウィショーは、007 スカイフォール以降の007シリーズ、(第76回ゴールデングローブ賞を受賞した)「英国スキャンダル〜セックスと陰謀のソープ事件」、「FARGO/ファーゴ:カンザスシティ」などでも知られる。
アダムの恋人役ロリー・フレック・バーンズも、ウィショーと同じくゲイを公表しているが、このドラマで意気投合したのか?2023年には、ベン・ウィショー主演で短編映画『In Heat』を脚本・監督。BFIとFilm4のFuture Takesプログラムから資金提供を受けた。
シュルティ・アチャリ役のアンビカ・モッドは、このドラマで注目され始めた女優だが、デヴィッド・ニコルズの同名小説を原作とするNetflixのヒット恋愛ドラマ「One Day」(2024)で主役のエマ・モーリー役を演じている。
シーズン2を望む声は多いが、今の所、アダム・ケイ自身は単発作品として企画したものなので、急いで考える気はないと言ってるようだ。
By 寅松
トレーラー