シビル・ウォー アメリカ最後の日
アメリカの終末を予言した映画ではなくて、民主主義の終焉を明示した映画!
2024年 アメリカ/イギリス 109分 DNA Films、A24 Amazon Primeで視聴可能
脚本:アレックス・ガーランド 監督:アレックス・ガーランド
出演:キルスティン・ダンスト、ヴァグネル・モウラ、ケイリー・スピーニー、スティーヴン・ヘンダーソン、ソノヤ・ミズノ ほか
「アメリカ最後の日」というタイトルは、本作の本質のわからない日本の配給会社が決めたものだろう。この映画は、アメリカの終焉を描いたものでもなく、さらに言われているようにトランプによるアメリカの分断が、かつての「南北戦争」の状態を引き起こすのではないか?ということについて、描写した映画でもない。
これがそんなことを予言している映画なら、現実社会のアメリカ大統領選があっさり決着をつけて、とうに現実が映画を追い抜いてしまった。
当選した途端にトランプに擦り寄るという驚くべき卑しさを発揮した、二枚舌のジェフ・ベゾスのAmazon Primeで早くも見られるようになったのは、なにかの皮肉なのだろうか?(笑)
映画は、内戦が起こったアメリカを取材するジャーナリストの一行の目を通して描かれる。ちょっと戦争ハイになっているロイター記者、ジョエル(ヴァグネル・モウラ)と一流カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)、そして別の社ながらジャーナリストたちの先生に見えるほどのベテラン記者サミー(スティーヴン・ヘンダーソン)、その一向に紛れ込んだ野心的なフリー若手カメラマン、ジェシー(ケイリー・スピーニー)。
ロイターの2人は、連邦政府陥落以前に大統領のインタビューを取る目的で。それは危険すぎると反対するサミーとジェシーの2人を前線のシャーロッツビルで下ろす予定で、一行はニューヨークのホテルを出発する。
目的地を目指す一行が、途中で目にするエピソートは、アメリカのバラバラの状況を表すように注意深く配置されているように見える。
ガス・スタンドを自分たちで守る一家は、盗みに入った地元の知り合いの男たちを、(かつての黒人リンチそっくりに)洗車機のゲートに吊るしている。
高級ゴルフ場では、立てこもっている敵と、包囲する兵下たちが交戦しているが、お互いどう言う立場で戦っているかさえ理解していない。
難民を受け入れているUNの避難所ではテントすら配給できないが、途中には、内戦を無視して商店が通常営業を続けているような街もある。しかし、その街の建物の屋上では自警団らしきスナイパーが警護している。
途中一緒になった中国系のトニー(ネルソン・リー)とともにジェシーが捕まった民兵集団は、自分たちがアメリカ人と認めない国民を容赦なく撃ち殺している。
香港出身のトニーはその場で撃ち殺され、ジョエル、リー、ジェシーは、車で突っ込んだサミーが助け出すのだが、その時被弾したサミーは、途中で息絶える。
ようやく、シャーロッツビルまでたどり着いた3人が知るのは、すでにDCが陥落したという知らせだった・・。
これは実際の話だが、現代のアメリカにはイデオロギーの対立も議論もない。今回の大統領選自体が、少数の「トランプが大好き」という知恵遅れと「カマラ・ハリスだけは嫌と言う」普通人の連合に対して、「トランプだけは絶対嫌」という知的階級の戦いであった。ただ「カマラが大好き」という層は、どこにも存在せず、当然の結果として、両方を合わせたトランプが圧勝したのが真相である。
映画の中では、テキサスとカリフォルニアを中心にした西部連合軍が反乱を起こして、ワシントンDCを目指していることは示されるが、どう考えてもイデオロギーや大きなテーマをめぐって、すべての州ごとに半々に割れて争ってきた感じはない。
つまり、大いなる混乱をきたした在任期間のあとで、頭のおかしな大統領に19の州は、「ノー」と言って派兵するのだが、大統領派がそんなにいるわけではなく警護隊と民兵組織くらいなのだろう。派兵した州以外は、「あんまり考えないようにしている」と言う感じで、内戦状態だと言われても「へえ?」というくらいで無視を決め込んでいるのだ。
当然のことながら、正規の軍隊を派兵した西部連合軍が、予想よりずと早くDCに侵攻して最後を迎えるわけだ。
映画の中の大統領は、のっけからTVを通じて嘘ばかり放送している。「我々は、もうまもなく勝利する。西部連合軍の兵士の投降を歓迎する」その言葉を、もはや誰も相手にしていない。
この大統領は、就任以来ずっと嘘つき続けているのだろう。車の中でラジを聞いていた温厚なサミーが、「飽き飽きした」と言ってスイッチを切るのは印象的だ。
大統領が、FBIを解体して、憲法を無視して3期目を継続していることを、サミーとジョエルの会話から伺うことができる。
映画の設定では、リベラルで民主党優勢のカリフォルアと共和党優勢のテキサスが手を組んで反乱を起こすことから、あえてどちらの側の大統領かを特定していない・・という見方もあったが、それはお門違いだろう。現実に、トランプの指名している次期FBI長官、カシュ・パテルは「初日にFBI本部を閉鎖し、翌日にはディープステートの博物館にする」と明言している人物だし、トランプ本人は、冗談めかしているが、3期目を目指す意欲を示している。
この映画の時制は、今回の米大統領選前後ではなく、トランプの独裁政権は3期目に突入しているのだ。
自分とその周りの犯罪者、金の亡者の利益が最大化することだけを目的に政治を私物化するトランプに、イデオロギー的支持基盤があるわけではなく、軍の掌握も難しいだろう。すでにトランプは、気にいらない軍幹部を一方的に粛清する委員会を設置する準備を進めているが、付け焼き刃で軍を私物化しようとしてもうまくいかないのは、隣の国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)が示したばかり。
軍事反乱が起きることは、十分ありうる。
トランプそっくりの、本作の嘘つき大統領は、自分がこれまで壊してきた民主主義的社会にしがみついて、交渉が可能なようなそぶりを示すが、西部連合軍の兵士は、意に介さず殺害する。
この映画が示しているのは、一つは民主主義と市民社会という幻想が終わった社会と、ジャーナリズムが終焉を迎える姿だ。
アレックス・ガーランドが、ジェーナリストの目を通してドラマを組み立てたのは、描きやすいからだけでなく、民主主義と近代市民社会を支えていたのは、好むと好まざるとにかかわらず客観的な情報を提供するジャーナリズムであることをよく知っているからだろう。
ジャーナリズムが死ねば、自動的に民主主義は機能しなくなる。ジャーナリズムがリベラルで気に入らないから、自分たちの信じる客観的でない時事=「嘘」をSNSを通して自国を扇動しようとするバカはあとをたたない。SNSの採用している、同傾向の投稿を連続して見せる悪質なアルゴリズムをもってすれば、知性の危うい多くの有権者には実に有効の働くことは、アメリカの大統領選、日本の兵庫県知事選が、見事なまでに証明している。
選挙権のある人のうち、大多数は自分でものを考えられず、SNSのアルゴリズムも理解していない「バカ」なのである。
コンゴやハンガリー、韓国よりも報道の自由度ランキングが低い、報道統制国家日本に住む人間が、「マスコミは十分な報道をしていない」と不満を呈し、報道自体を否定する気持ちになるのもわからないではない・・・が、だからと言って、SNSはジャーナリズムの代わりにはならない。
少なくともジャーナリズムは、嘘を報道すれば批判されるし、批判すべき実体がある。
SNSで正しいことが一つ報じられても、数万の嘘に紛れてしまって誰も見つけることはできないだろう。
現行、SNSでは、どんな嘘を流しても罰せられることはない。トランプやその支持者も嘘をつきすぎて、誰も関心を払わないが、多くの嘘を流す主体は、匿名で批判することすらできない。
嘘の海に「バカ」を投げ込んで、投票させるというのは、お笑い以上の馬鹿げた行為だ。
映画では、伝説的なジャーナリストで、皆を育てた師匠のような存在のサミーは、途中死亡し、ホワイトハウス突入時に危ない位置で立ち尽くしていたジェシーをかばってリーも銃弾を浴びる。今までのジャーナリズムが終焉を迎えた瞬間である。
それ以前、旅の途中でリーは、サミーに打ち明ける。「私は今まで、世界の戦場を駆け回って、祖国に警告していたつもりだった」と。
すでにジャーナリズムは、アメリカで徐々に存在意義を失っていたのだ。
戦場ジャーナリストは武器を携行しないで、自分たちは「中立」で「プレス」であることだけを頼りに、危険な場所でも報道する。これはもちろん、常道で鉄則でもあるが、この映画の狂ったアメリカでは、ジャーナリストだけが銃を持たないのは、あまりに奇妙な行動に写る。皆がゾンビになった国で、ジャーナリストだけが理性で相手を説得しているような光景だ。
ジャーナリズムが終了し、これまで民主主義と言われていたものが消え去ると、同時に市民社会は崩壊の道を辿る。その道筋は一様ではないだろうが、例えば、自分の利益と、自分の悪事を帳消しにすることだけを考えているいるようなクズが、悪党仲間と共謀して嘘をばらまいても大統領になることができるし、当選したらまず、自分を追求する司法機関を解体し、自分から税金をとる行政機関を壊滅させるだろう。司法も行政も立ち行かないので、市民社会は形が崩れてしまう。何が起こっても、誰も助けてくれない社会なら、どうするだろうか?
アメリカなら、皆がどんどん武装する。人殺しても、相手より強ければ罪には問われない。一番大きな重火器を持つものが国を制するのだ。
たとえ、ネット上情報があふれていても、嘘が大半なら「情報」には意味がなくなる。コミュニティとしては、中世を通り越して、ネアンデルタール人あたりの文明に逆戻りすることになるだろう。
その姿こそが、この映画の描こうとしたところであるし、2025年の政権移行により現実のアメリカで、急速に実現するするかもしれない世界だ。
アレックス・ガーランドは、NYパンクのスーサイド、米メタルのスキッド・ロウ、60年代から活動するエレクトロの元祖、シルヴァー・アップルズなど、退廃的で救いのない音楽をうまく使って、絶望感を盛り上げている。