止められるか、俺たちを
1970年代初頭のゴールデン街やその手の人たちの再現度は実に素晴らしい!
2018年 日本 119分 若松プロダクション/スコーレ Amazon Primeで視聴可能
監督:白石和彌 脚本:井上淳一
出演:門脇麦、井浦新、山本浩司、毎熊克哉、タモト清嵐、岡部尚、大西信満、藤原季節、寺島しのぶ、高良健吾、奥田瑛二、 中澤梓佐、満島真之介、渋川清彦 ほか
少し古い作品だが、Amazon Primeで見られるようになった。今の若い人たち・・というか、60代以上の視聴者を除けば、「なんのことやら?」と思うような映画だと思われる。
しかし、さすがにリアルタイムとはい言わないが、この映画の舞台となっている年の最後くらいから自分で映画を見だして、1970年代中頃から80年代くらいまでの新宿やゴールデン街、この種のアングラ業界の人々を目撃したものとして、これだけは自信を持って言えるだろう。ロケーションや、人々のぶっきらぼうさ、空気感もひっくるめて、この再現力はなかなかに素晴らしい!
現在49歳(2024年時点)の白石監督はもちろんのこと、若松孝二の弟子といえる脚本の井上氏(59歳2024年時点)にしても、この時代を直接は目撃していないはずなのだが、この時生存していた関係者から丁寧に取材して作り上げた映画は、まさに現代に作られたものとは思えない出来である。
そもそも、今、「ピンク映画」がなんなのかわかる人がどのくらいいるだろうか?
「ピンク映画」とは、映画大手(東映、東宝、日活、大映、松竹)ではない、中小映画会社(大蔵、新東宝、新日本映像など)が配給した、今で言えばインディーズ的なポルノ映画である。60年代に盛んに作られるようになったが、1965 年に自らの若松プロを立ち上げた若松孝二は、セックスだけでなくスキャンダラスなテーマを取り上げ人気を博した。
若松自身(井浦新)は、政治的な人間というより、当時の社会、既存の映画界すべてに、飽くなき反抗心を抱いた激情型の人物でありながら、一方では自分のプロダクションを回すために、常に金儲けには熱心で戦略的。矛盾のある人物として描かれている。まあ、これはこれで事実なのだろう。
70年代当時の日本社会の堅牢な保守性や閉塞感がわからない、今の世代の人にしたら「なんでこんなテキトーな人間が?」と思われかねないが、この時代に何よりも重要だったのは、人を振り回すような人間的なエネルギーだったのではないかと思う。
実際、若松プロにおいても、活動における政治闘争的な部分の理念は、元赤軍の活動家であり、若松の相棒であった、脚本家/監督の足立正生(山本浩司)が担っていたに違いない。若松は、一方で理論的には足立を信頼していながら、撮影の現場では「だから、お前はダメなんだよ!理屈はいいんだよ!映画には写らないんだからな!」と、こき下ろす。
一部では、人物の個性描写が薄いと言う批判もあるようだが、それこそ本物を知らない後世のフォロワーの思い込みというものだ。クリエイターというのは、どんな過激なものを作っていようとも、正直はたから見れば、意外なほど淡々とした人物たちだ。ドラマの主人公にはなりそうもない人たちなのだ。
ゴールデン街の「まえだ」で泥酔した若松と、店に逃げ込んできた赤塚不二夫(音尾琢真)が一緒に店の窓から放尿してママ(寺島しのぶ)に激怒されるエピソードは、確か有名な話なのでそのままやっているが・・が、めぐみが立ち会っているのはフィクションだろう。
登場たちを間近で見た経験のある監督も、俳優たちも、その辺は抑えた感じで良い。
主人公の吉積めぐみ(門脇麦)を若松プロに引き込むフーテン仲間だったオバゲ(タモト清嵐)は、本名を秋山道男といい、若松プロでは、助監としてだけでなく、役者としても借り出され、音楽や宣伝美術も担当した。映画の中で、めぐみに別れを告げたように、政治的な方向を強めてゆく若松プロを去ったあとは、荒戸源次郎の劇団「天象儀館」に参加。その後は、次第にコマーシャルな業界で活動するようになる。
「無印良品」ブランドの立ち上げに関わり、チェッカーズのプロデュース、そしてイブ・クラインの丸パクリながら、写真集で小泉今日子を全裸にして女拓(にょたく)をとらせた男としても知られている。「天象儀館」で一緒だった知人によれば、80年代に入り金が入るようになってからは、飛び込みで入ったレストランで「この店で一番高いものは何?メニューにあるもの、全部持ってきて!」などという注文をして、店員を困惑させるような変人だったと言うが・・・。タモト清嵐の鋭い目つきは、当時の雰囲気が出ている。(2018年没)
オバケとともに役者としてもひっぱり出されてたガイラ=小水一男は、最近TVなどでも見る機会が非常に増えた毎熊克哉が演じていた。監督としては、ビートたけしに託されて、「ほしをつぐもの」の監督に任命されたことが有名だが、今も、飄々と初台でカレー屋さんを経営している。本人の考える企画は、なかなか過激だが、若松、足立正生、沖島勲、大和屋竺と多くの人たちの助監をつとめた彼の人物像は、意外に穏やかなのだろう。毎熊克哉の一歩引いた表現が雰囲気を出している感じがした。
脚本家、監督としてだけでなく、舌鋒鋭い映画評論家としても知られる荒井晴彦(藤原季節)の若い頃の姿も味があった。試写会の受付でめぐみに脅されてビビる姿が、リアルだ。
物語は、1969年に若松プロで助監督を始めた吉積めぐみの目を通して、初期の若松プロを描くものだ。若松プロにいた女流監督?というので、のちにピンク映画界の烈女監督として知られた、浜野佐知のことかと思ったが、この人は助監督1作目で若松プロを飛び出したので、全然違う人物であった。(あのおばさんでなくて良かった!)
実は、吉積めぐみという人は、実際にこの当時に若松プロに在籍した女性助監督で、若くして亡くなった女性らしい。監督の白石和彌は、若松プロに飾ってあった彼女の写真を見たときから、構想を思いついて頭から離れなくなったという。
エンドロールに、1枚だけ映される写真が本物の吉積だろう。
彼女については、一般的には知られていないので、おそらく当時を知る人たちからの証言で構成するしかない人物だろうが、門脇麦は、まったく気負わないで、女優としての自分とほぼ等身大のめぐみ像を提示している。これもまたリアリティがあって良い。
フォトグラファー志望でで若松プロでの撮影助手から、日本の映画撮影監督の先駆けとなった高間賢治(伊島空)は、当時、実際にめぐみと同棲していたようだ。公開当時に「恵のことを多くの人に知ってもらい、感謝している」と述べている。
白石監督は、主人公のめぐみについて、何も説明をしないまま物語をスタートし、その生い立ちなどはほとんど語らない。しかし、終盤、めぐみがやや精神のバランスを崩し始めている時期になって、新聞社の取材という形で「母親が2回結婚して、2回離婚して、父親にはあってません」などと簡単に自分のことを語らせている。その取材の最中に、駅の公衆電話からかける高間の電話が入り、なんとなく2人の別れを暗示するあたりも、なかなかうまい。
本作の続編『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が、2024年に公開された。若松孝二を井浦新が続投し、若松プロが設立したミニシアター「シネマスコーレ」の支配人、木全純治を東出昌大が演じている。こちらはシネマスコーレに通いつめて、若松への弟子入りを志願した井上淳一氏が、当時の自分の目を通して描いた青春群像劇のようで、自ら脚本/監督を手がけている。
しかし「止められるか、俺たちを」というタイトルは、「止められるか、俺たちの(放尿を!)」という意味だったのか??
By 寅松
白石和彌は音楽の趣味も悪くはない。サニーデイ・サービスの曽我部恵一が手がけた主題歌は、時代不詳のフォークの香りを残した俊作。