海外ドラマ

サムバディ

ついに韓国ドラマの壁が破られた!本年度最高の意欲作!

썸바디/Somebody
2022年 韓国 4K 55分 全8話 Beyond J/Netflix Netflixで配信
クリエイター:ハン・ジワン、チョン・ジウ 監督:チョン・ジウ
出演:キム・ヨングァン、カン・ヘリム、キム・ヨンジ、キム・スヨン、チェ・ユハ、チェ・ジェフン、ペ・カンヒ、シン・ムンソン、イ・スンユン、カン・ジウン、イ・キチャン、シム・ウソン、キム・ジュンギ ほか

 本作のチョン・ジウ監督は、映画畑の人間で連続ドラマは初監督。そのせいかどうかは別として、本作はいわゆる「韓ドラ」の文脈上にあるドラマではない。勧善懲悪からはみ出ないで、登場人物がどれも納得がいく人間ドラマで説明されていて、感動できる「韓ドラ」・・・を期待している視聴者は、そもそも見ないほうがいいと思う。「共感できない」「居心地が悪い」「テンポが悪い」という的外れな感想になってしまうのがオチだ。
 このドラマは、「韓ドラ」の常識を大きく打ち破ってしまった。
 その描写も話題になっているが、それ以前にこのドラマには倫理的に正しい人間が登場しないので、まずシンプルに感情移入ができない。連続殺人を犯している犯人に倫理感がないのはともかく、その犯人と関係を持つことになる3人の女性たちも、正義感はないし、自分の目的のために行動している。
 加害者と被害者がいる伝統的サスペンスではなく、登場人物はむしろピカレスク的に逸脱しまくる。

 映像も完全に映画のそれだ。説明するための映像ではなく、主人公の情感を言葉を使わずに映像で表現するシーンが実に多い。映像を引き立たせる音楽の使い方も映画的だ。クラシックと現代音楽を思わせるサントラ。後半には、メロデューが変わっているのでよく聴かないとわからないが、「朝日のあたる家」や「スカボロフェアー」など有名なトラッドをアレンジしたBGMがかかる。これがまた、効果を盛り上げる。北欧ダーク・サスペンスからの影響が感じられる。
 
 そして話題のセックス描写も、韓国ドラマ枠を飛び越えた。
 かつて、韓国ドラマではセックスを描いたとしても、女優が服の脱ぐのはタブーであると言われてきたが、主人公のキム・ソム(カン・ヘリム)はあっさりと自分から脱ぎ、激しいカラミを披露する。
 自身が身障者で下半身が動かせないヨン・ギウン(キム・スヨン)が、ムキムキのソン・ユノ(キム・ヨングァン)と打ち捨てられたプールの更衣室で繰り広げるセックスシーンは、服こそ脱がないが、女性が自ら大胆な欲望を口に出す衝撃シーンで、駅弁ファックで頑張るキム・スヨンは、かえってカン・ヘリムよりエロチックだ。

 物語は、アスペルガー(ASD)の天才プログラマー、キム・ソムと、彼女が作った人工知能ベースのマッチング・アプリ・サービス「サムバディ」から始まっている。チャットを通うじて他人とコミュニケーションすることが苦手だったソムが作り上げたのが、チャットの際に躊躇してやめた文章も記録/考慮してその人物の内面をさぐりだし、同様な傾向のある人間にマッチさせるもの。
 サービスは、ソムの「誰もが、人に言えない自分をさらけ出す場を持てるべきだ」という理想の元、犯罪に利用されても捜査機関に使用者情報を公開しない方針を貫き、活況を呈している。
 しかし、ユーザーの中に複数のアカウントを使い、女性への暴行や殺人まで行っているらしきものがいることが伝えられ、ソムがCTO(最高技術責任者)を務めるサービスの提供会社スペクトラムは対応を迫られる。
 ソムは自ら、疑いのあるアカウントのユーザーにマッチングして、同時に2人のユーザーとチャットを始めた。そのチャット中に、会社の裏路地で車に轢かれた子猫を発見したソムは、公共サービスで対応してもらえないとわかると、躊躇せずその場で子猫を殺してしまうのだ。
 「動物病院に連れて行こう!」と正論を返してくる片方の相手をブロックすると、(猫を殺したことを)「それは正しいよ」と言ってくれた男と音声チャットへ進む。その相手こそ、サムバディを通じて連続殺人を繰り返す、シリアルキラーのソン・ユノだった。子供の頃からASDと診断され、他人の恐怖や痛みに全く共感できず、周囲から「怪物」と呼ばれることもあった彼女にとって、人生で初めて自分同じ感覚を持ち、自分を肯定してくれる異性に出会った瞬間であった。

 孤独なソムの唯一の友人は、自分が作り出したAIチャットボットで、サムバディのプロトタイプであるSomeoneのみだ。しかし以前はヨン・ギウンという女性警官になった友人がいた。ギウンは、「韓国一セクシーな女性警官」がキャッチプレーズでソムにもあけすけにセックスの話をする裏表のない女性。しかしギウンが事故にあって下半身不随になって以来、ギウンとソムは疎遠になっていた。
 ギウンは、あるとき車椅子であること公開してサムバディでサーチをしていると、相手も車椅子を使うという男とマッチングする。話が弾んで、男の呼び出しに応じたギウンは、誰もいない見捨てられたプール施設で、その男と情熱的なセックスをするが、気がつくと男がギウンの車椅子をどこかへ捨てて自身消えていた。
 死にそうになるが、なんとか上半身の体力だけでタクシーを捕まえたギウンは親友の巫堂(ムーダン:韓国シャーマニズムの巫女)でもあるイム・モグォン(キム・ヨンジ)の元にたどり着き、保護してもらう。
 ギウンとモグォンは、この許せない男を探し出して警察に突き出すため、サムバディの情報を公開させようとキム・ソムに連絡を取るのだが・・・。

 アスペルガーの天才とサイコパス殺人者の恋。スペルガーのソム、身体的身障者のギウン、そして巫堂という特殊階層である一方、自身はレズビアンのモグォン。3人の社会的逸脱者たちの微妙な絆。
 また最先端のAI技術者でありながら、アナログ機材をこよなく愛し、自宅にはレトロなMac機材やゲーム機を改良したPCが置かれ、わざわざアンティークなプレーヤーでアナログレコードをかけるソムと、自身は気鋭の建築家で、産業遺跡や再開発地域の古い商店街の再生に才能を発揮するソン・ユノというデザインされた共通項。
 「私だけに見える探偵」(内容自体は、地上波ドラマの限界がある作品だが)でも、キャラクター設定や人物の描き方がうまかった女性脚本家ハン・ジワンだが、この作品では、ひねったストーリーを優先するために、リアリティをだいぶ犠牲にしている・・と言わざるを得ない。
 アスペルガーの程度に様々なレベルがあるのは確かだろうが、「恐怖の顔」を見るために母親を殺しかけて、子供の頃から「アスペルガー」と確定診断されるほどのソムが、自分と同じ傾向を持つサイコパスのユノに出会った途端に、恋する乙女のようになってしまうのは理解に苦しむ。アスペルガーを無邪気な善人として描いて成功した、「ウ・ヨンウ」へのアンチテーゼなのだろうとは思うが・・、人間の心情を理解できないから、人を騙したりするのは難しいアスペルガーが、いとも簡単に友人を欺いたり、自分だけで計略を進めたりするのは、どう考えてもかなりおかしい。

 ただ、その辺を割り引いいても、全体としては新しい魅力のある作品になった。

 今や大スターに上り詰めたキム・ゴウンを、『ウンギョ 青い蜜』で最初に見出したチョン・ジウ監督は、多分ロリコンで、一重まぶたの朝鮮顔少女フェチなのだろう!
 今回は、元モデルで「恋はオン エアー中!」など、まだ実績わずかなカン・へリムを抜擢してその魅力を十二分に引き出した。(2022年時点で)26歳のヘリムだが、ドラマのオープニングで登場する18歳時の役でのノーメイクの幼さがすごい。
 幼すぎるソム(ヘリム)が、違法裏賭博ゲームの元締めの男の所に現れて、男の求めるままにプログラムを改造するバイトを簡単にこなすのだが、悪徳業者の男(チェ・ジェフン)の方が彼女の行く末を心配してそわそわするのが面白い。この男が、後半に意外な形で再登場し、ソムの決断を後押しする。

 建築家として知性もある一方で、サムバディを通じて殺人の味を覚えたことで、サイコパスとしての自分を開花させるソン・ユノ。演じたキム・ヨングァンの演技も、これまでのキャリアを吹っ飛ばすくらい強烈で、かっこいい。『ミッションポッシブル』のふざけた探偵と同じ人間とは、知らなければほとんどの人が気づかないはずだ。
 
 美人すぎるキム・ヨンジを、レズビアンで巫堂という特殊な配役に配置したのも巧みだが、新人のキム・スヨンが体当たり演技を見せるヨン・ギウン役も素晴らしい。

 役者たちの演技とともに、もう一つ素晴らしいのがロケーションとプロダクション・デザインである。今や、韓国ドラマ/映画のトレードマークになっているかのような、取り壊されるのを待つ「再開発地区」が、このドラマでもふんだんに登場する。ギウンが呼び出されて閉じ込められ、そのまま取り壊し工事で殺されそうになる商店街。ユノが、建築学の大学教授を襲い、その秘書である女性の遺体を放置してある、廃棄されている巨大サイロ。人里離れた土地に、放置されたようなプールやユノが買い取った施設。一方、古い一軒家だが、内装は白で統一され心地が良いソムの自宅や、クラブか結婚式場を改装したようなスペクトラム社の社屋。
 ロケーションは全て、独特の孤独感を感じさせる、吟味され尽くした佇まいである。
 
 物語の最後に訪れる衝撃の結末は、なかなか予想できないだろう。伏線と呼べるかは別として、この結論を導き出す過程でソムは、プログラムの設計書のようにチャートを窓に貼り付けて思考をまとめる作業を続けていた。先に書いた子猫を自分で殺したエピソードと繋げて考えれば、あの作業は単に最後の方で出てくる、ディープ・フェイク動画とAIを組み合わせた映像チャットを設計していたのではなく、自分とユノの愛の結末を設計していたのだと気づいて、ハッとさせられる。
 考え方はともかく、これを実行できるのはアスペルガーではないと思うのだが・・。(ラストシーンで、描かれる会社での和やかなTVゲームシーンは、ソムがもはやアルペルガーを克服したことを描いているのだろうか?)

By 寅松