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ROMA/ローマ

水に描かれた“メキシコシティ”物語 フェリーニ、小津、タルコフスキー……そして、キュアロン。あるいは「スリー・アミーゴス」ハリウッドを征服

ROMA
2018年 メキシコ 白黒 135分 Netflixで配信
監督・脚本・撮影:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、ホルヘ・アントニオ・グエレロ

 みごとネトフリ映画初(ドキュメンタリー部門を除く)のアカデミー賞=外国語映画賞、監督賞、撮影賞に輝いたメキシコのアルフォンソ・キュアロン監督による1970年代前半を舞台にした自伝的ドラマ。ただし、もし「アカデミー予告編賞」があったなら、ぜひ授与したいのがこの映画の本予告編だ。美しいモノクロ映像の連続にかぶってくるのはピンクフロイドのアルバム「狂気」(1973年)に収録されていた超名曲「虚空のスキャット The Great Gig In The Sky」で、リチャード・ライトのピアノとオルガン、デイヴ・ギルモアのスライドギターに導かれて始まるエモーショナル極まりないスキャットのパート。退屈男も思わず正座し直し襟を正して画面に向かったほどのインパクトだ。歌っていたのは、イギリスの歌手クレアClare・トリー。 
 ただし、『ROMA/ローマ』本編にはピンク・フロイドは流れない。メキシコシティの「ローマ」地区の裕福な家(キュアロン家)の女中クレオ“Cleo”の物語だ。毎日犬がフンをする門から玄関までのエントランスを掃除するのが日課だが、子供が4人もいて、なかなかフン掃除まで手が回らない。唯一の楽しみは、ボーイフレンドと映画を見に行くことだが、あるひクレオは妊娠してしまう。武道に熱中する彼はさっさと田舎へ帰ってしまった……。

 全編白黒のスコープ画面。これで、家が世田谷で田舎が長野あたりなら、そのまま芦川いづみ主演の日活映画みたいなのだが、撮影も兼任したアルフォンソ・キュアロンの、宮川一夫も腰を抜かすに違いないほど美しい(犬のフンでさえも!)映像の連続に幻惑され続ける。フィックス(静止)画面の素晴らしい構図、クレオや子供たちの動きに合わせたゆっくりしたパン、走り出すような横移動、完ぺきに再現された70年代初頭の雰囲気、どうやって照明したのかわからない森の中の風景、そして、あり得ない移動撮影でとらえる大波が押し寄せるビーチ……。
 家のエントランスは、家族が乗っているアメリカ車(フォード・ギャラクシー)の横幅ギリギリのサイズだ。普段はなんとか駐車しているが、ご主人さまの夫婦仲がおかしくなるとそうはいかなくなる。奥さんは遠慮なく車を傷つける。大きな車は父親の象徴であり、エントランスは社会と家庭の間をつなぐ何かのシンボルでもあるのだろう。子供たちはそこで遊び、犬はフンをする!
 動物たちの名演技もすごい。移動するカメラに合わせて走り回るトカゲ、なぜか画面の真ん中で交尾を続ける鶏(アヒルかも)……たぶんCGIやアニメーションも使っていると思うのだが、まったくわからない。

 軍楽隊(?)の行進や賑やかな映画館の前の夜店、なぜかサーカス(人間大砲!)をやっている田舎の風景、夜の森の火事とノルウェー語(?)の歌を唄う謎の男などは、まるで60年代のフェリーニ映画のような味わいであり、静止画を重ねる編集、町の音(ジェット機の音と動物の鳴き声)しか聞こえない音響、そして黙って運命を受け入れるクレオの(笠智衆のような)表情は、ほとんど小津安二郎の『東京物語』の世界だ。尾道のポンポン蒸気船の代わりにジェット機の轟音がメキシコシティを特徴づけている。
 床掃除の水に映る、街の上空を飛ぶ飛行機(いくらなんでもCGIだと思うが)も、地上と天界を比較しているのだろうか……。
 冒頭は、クレオが掃除する床を流れる水から始まり、雨、雹、田舎のどぶ、山火事を消すためのバケツリレー、(妊娠した彼女の)破水、子供がビーチで溺れそうに……と最後まで「水」がつきまとい、彼女の運命を動かしていく。タルコフスキーを連想しない映画ファンは皆無だろう。そして、ラスト、クレオは青空に向かって(水に濡れた)洗濯物を乾かしに行く……素晴らしく前向きな終わりだ。ちなみに、モデルになった女中さんの名は「リボ」といって、最後に献辞が出る。
 こうして書いていると、どうしてアカデミー脚本賞をもらっていないのか不思議なくらいに完ぺきな脚本だ。まあ、さすがにひとりで4つもオスカーをもらうのはいくらなんでも……ということだろうか。 


 クレオのボーイフレンドは、どうやら日本武道にご執心らしく、まるで『宮本武蔵』の三船敏郎のように剣による「型」を披露し最後日本語で「アリガトウゴザイマシタ」と挨拶する。しかも、全裸フルチンで(ボカシなどはない。その意味も、後でなんとなくわかる)。しかし、彼はクレオの妊娠を聞くと遁走する最低男だ。田舎へ追いかけていくと、大勢の若者たちがずらりと並んで(まるで少林寺のよう!)同じく、三船風武道の練習をしている。シュールな軍事訓練のようで、掛け声も「イチ、ニ、サン」と日本語だ。どうやら、これは政府が学生運動を弾圧するためにCIAの援助で進めていた鎮圧部隊の訓練らしいのだ。こうして政府とCIAの手先となった、「子供」の父親は、思いもかけない場面でクレオと再会することになる。
 わざわざ「こんどのコーチは韓国人だ」というセリフがあるのは、CIAの関与をにおわすと同時に、決して「三船」が彼の行動と直結していないと弁解しているようでもある。日本人の三船敏郎が好きすぎて『価値ある男』(62)で「メキシコ人」の主役を演じてもらったメキシコならではの配慮だったのだろうか。

 おそらくアルフォンソ・キュアロンは、海で溺れかけたり、両親の別れの会話を盗み聞きして叩かれる次男(?)パコくんだと思われるが、彼の体験に基づいた1970年頃のメキシコシティの点描も楽しい。映画館でルイ・ド・フィネスの『大進撃』を見る場面があるが、1966年の映画でないの? と思ったが調べてみるとメキシコでは69年の年末に公開されていた。つまり彼らは(おそらく)1970年の初めに観ているのだ。キュアロンの『ゼロ・グラビティ』の元ネタである『宇宙からの脱出』(69)も出てくるが、これもアメリカ以外では1970年の公開だ。パーティの場面で流れてくる「マミー・ブルー」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」からの曲も70年代初めを象徴している。
 一方で、病院での出産場面や学生運動鎮圧場面はキュアロン作の『トゥモロー・ワールド』(06)を思わせるし、最後に(父親がいなくなった)家族でビーチへ出かける場面は『天国の口、終りの楽園。』(01)につながっているし、そういえば『大いなる遺産』(98)も水の中から話が始まっていたように思う。少年時代の思い出に自作の映画まで盛り込んで作り上げた、まさに「すべての道は“ローマ”へ続く」というべき最高傑作だろう。
 最後に何度も「ROMA」とタイトルが出て気づいたが、「ROMA」を逆に書けば「AMOR」。スペイン語で「愛」だ。問題のクレオの男も「AMOR」と書かれたTシャツを着ていた。メキシコ映画に目を見開かせたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督による2000年東京国際映画祭グランプリ作は『アモーレス・ペロス』=「犬たちの恋人たち」だった。そして、クレオたちの家の犬は、今日もフンをし続ける。ちなみに、家を出てしまったお父さんは、メキシコで原発を開発していた物理学者だったらしい。

 それにしても、ここ数年のアカデミー監督賞はメキシコ人監督のほぼ独占状態だ。2013年『ゼロ・グラビティ』(キュアロン)、14年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(イニャリトゥ)、15年『レヴェナント:蘇えりし者』(イニャリトゥ)、17年『シェイプ・オブ・ウォーター』(ギレルモ・デル・トロ)、そして18年『ROMA/ローマ』(キュアロン)。この3監督は仲もよいようで、一緒に製作会社「チャチャチャ・フィルム」を立ち上げたことがあり、「スリー・アミーゴス・オブ・シネマ」と呼ばれたという。まさに、「スリー・アミーゴス」はハリウッドを征服してしまったのだ……そりゃ、トランプ大統領も怒るか。

by 無用ノ介

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