DEUCE ポルノストリート in N.Y. シーズン1

ポルノ映画の黎明と同時にアメリカの自由と平等の誕生を描く
ミニ大河ドラマにして、世界で一番チンポコとタバコが出てくるドラマ

THE DEUCE
2017年 HBO カラー 全8回 スターチャンネル
クリエイター:ジョージ・ペレカノス、デヴィッド・サイモン
出演:ジェームズ・フランコ、マギー・ギレンホール、マルガリータ・レヴィエヴァ

 
 1971年のニューヨーク。タイムズスクエア周辺はB級映画やポルノショップ、そしてストリートガールがたむろする“ポルノストリート”だった……。ブロードウェイと7番街、42丁目の交わるあたりがタイムズスクエアで、そこから西へ8番街、9番街へすすむとなにやら怪しい雰囲気が増す。80年代にも、あまり近づかないほうが良いといわれていた。「デュース」とはタイムズスクエアのあだ名のようなものだそうだ。
 刑事ドラマ『THE WIRE/ザ・ワイヤー』のクリエイターによる『DEUCE ポルノストリート in N.Y.』は、ポルノ産業の勃興を描くエロ業界ものでありながら、アメリカが“自由”を手にしていく過程を描く近代史であり、黒人やゲイや女性が表面に出てくる社会変革の再現であり、恋愛青春ものだ。映画スターとしてそこそこ知られているジェームズ・フランコとマギー・ギレンホールが主演して話題性も十分なうえ、ケーブルテレビHBO制作だけにほとんど制約なしの描写で完全大人向け。時代色の再現もお見事で、現在のところ世界でもっとも“タバコとチンポコが出てくるドラマ”といえるだろう。

 別れた妻と子供のために金が必要なバーテンのヴィンセント(ジェームズ・フランコ)は、女の子をレオタード姿で給仕させるバーを発案して大繁盛させ、マフィアのルディに気に入られる。ギャンブル好きで自堕落な双子の兄フランキー(フランコ二役)に悩ませられながら、ヴィンセントはマッサージ・パーラーという名の売春施設や個室エロ映画マシンなどを成功させていく……。一方、ポン引きとは組まずフリーでストリートガールをしているキャンディ(マギー・ギレンホール)は、息警察の締め付けや暴力をふるう客に嫌気がさしていたとき、出演したポルノ映画に光明を見出し、自分で監督しようと考え始める……。
 スター俳優2人の頑張りがまず目立つ。フランコは二役のうえ2話で監督も担当、監督回でダメ男フランキーの役が目立つのはご愛敬。マギー・ギレンホール(発音はジレンホール)は、プロデュースも兼ねながら街娼兼ポルノ女優役で、脱ぐまくりのやりまくりだ。40前なのに垂れた乳房がリアルな上、実際よりも生活に疲れたようなメイクも施している。プロデューサーも兼ねていて、アメリカではテレビのトークショーにいくつも出て宣伝に努めていたが、まさかここまで! 世界で一番ヌード&ファックシーンを演じたプロデューサーではないだろうか。本気度200%の作品への取り組みを見ていれば、自然、ほかの女優たちもやる気(脱ぐ気)が出るのも当然で、若手女優たちが次々とヘアもオッパイもさらし続ける。
 ポルノ映画の話といえば、『ディープ・スロート』のリンダ・ラブレースをモデルにした映画『ラヴレース』(2012年 主演はアマンダ・セイフライド)があった。そこでヒュー・ヘフナー役で出演していたのがジェームズ・フランコ、ラブレースをポルノ女優にしてしまう最低夫を演じたいたのが誰あろうマギー・ギレンホールの実生活での夫ピーター・サースガードだった。まさか、マギーさん、旦那たちの映画を見てやる気を出したのだろうか。ちなみに、その前に『ブギーナイツ』(97年 ポール・トーマス・アンダーソン監督)があるが、これは70年代後半の西海岸の話だった。

 『DEUCE ポルノストリート in N.Y.』第1シーズンは、『ディープ・スロート』が世に出る1972年6月で終わる。当然シーズン2がないと収まらない展開なのだが、内容自体も、観るものが最初に想像したものとはずいぶん違う印象だ。
 フランコとギレンホールのエピソードは、群像劇ともいえる大量の出演者たちのうちの一部でしかないし、2人はほとんど接点がない。どちらかといえば中心にいるのは、数人の黒人ポン引き(白人もいるが、気弱な男という変則設定)とそれぞれ3人ずつくらいの街娼たち。性格のいい黒人娘のダーリーン(ドミニク・フィッシュバック)、キャンディに見込まれて映画に出るようになる家出娘の白人ローリー(エミリー・ミード)、ポン引きに痛めつけられているがフランキーとできちゃうアシュリー(ジェイミー・ニューマン)など、どの女優も不自然さがないのが素晴らしい。可愛すぎもせず、きれいすぎでもなく……いや、どちらかといえばイマイチな感じが見事にリアルなストリートガールだ(日本の映画やドラマではほぼありえない作品本位のキャスティング)。
 レオタードバーで働くことになるニューヨーク大学のお嬢様アビー役のマルガリータ・レヴィエヴァは大学教授やヴィンセントとやるときも自分がリードしたがるウーマンリヴ・タイプだが、ヴェルヴェット・アンダーグランドのファンで、店でグラムロックバンド(ニューヨーク・ドールズあたりがモデルか?)に演奏させてしまう。ヴィンセントが信頼するバーテンのポール(クリス・コイ)はゲイで、かの有名なゲイ映画の名作『砂丘の少年たち(Boys in the San)』の主役とやりまくる。
 そして、ポン引きやバーから金を吸い上げるマフィアと警察、その実態を追う女性ジャーナリストまで出てくるので登場人物は膨大だ。いつまでたってもポルノ映画の撮影が始まらないなと思っていたら、それが主眼ではなかったことに気づかされることになる。

 マフィアやユダヤ系のポルノ映画監督(ハーヴェイ・ワッサーマンといういかにもすぎる名前が笑える)が出てきて分るのだが、71年の時点ではまだアメリカではハードコア映画は解禁されてなかった。過激なヨーロッパ・ポルノが輸入されても摘発されたり、取り締まりがあいまいなので、作る側は様子を見ながら作っていたという。それはまだ「映画」ではなく、ブルーフィルムと呼ばれた、フィルムをコピーして売る無声の短編ものだったらしい。ただ、もちろん日本とは違って「ヘアが見える・見えない」ではなく、「行為が映ってる・映ってない」が問題だったようだが。それが71年の判決で「表現の自由」が認められ(この判決場面にマフィアたちがこぞって出席しているのが可笑しい)、しかもそんな裁定に至るまでにはゲイ・フィルムの人気なども一役買っていたという。そんなこと知らなかったなあ……そりゃそうか。
 つまり、このドラマはアメリカが「表現の自由」を獲得していく過程を描いているわけだ。その一方で、ストリートガールが、取り締まりを避けて「マッサージ・パーラー」と呼ばれる“室内”へ商売の場を替えていく。日本では、逆に遊郭から夜鷹へ落ちていくような印象があるが、アメリカでは逆だったんだね(まあ、西部劇には女を買える酒場兼旅館サルーンとか娼館も出てくるが)。パーラー全盛になって、今まではカッコつけて粋がっていたポン引きたちが、やることがなくなってしまい顔つき合わせてグチを言い合ってるのも笑える。もう一つ、このドラマの主眼は、「女性の自立」だ。キャンディ以外の街娼になっている女たちも、決してポン引きに騙されているわけではない。それぞれ理由はあるが、好きでやっているということが前提のようだ。そしてキャンディのように自立し、映画監督へと羽ばたいていこうとする女性もいる。そして、第1シーズンの半分にあたる4本のエピソードの監督が女性。『ブレイキング・バッド』『ウォーキング・デッド』のミシェル・マクラーレンが最初と最後のエピソード、カメラマン出身(『ウォーク・ハード/ロックへの階段』07など)のユタ・ブリースウィッツ、『スター・トレック/ヴォイジャー』に出演していたロクサン・ドーソンがそれぞれ1話担当している。女性担当回でもエロ場面は満載なのも面白い。

 70年代を再現した美術も見ものだ。さすがに今のタイムズスクエアでは無理にしても、同じマンハッタン、ハーレムの北に位置するワシントン・ハイツでオープンセットを組んだという製作陣は偉い。今どきの映画は何でもかんでもトロントやモントリオールなどをニューヨークに見せて撮る映画が多い(製作費が安く済む)のだが、やはり空気感が違う。さらに、タイムズスクエアに似せて当時の映画館の看板を作り、現場感を出しているのだが、作品のセレクトがまた楽しめる。最初の回ではベルトルッチの『暗殺の森』、ダリオ・アルジェントの『歓びの毒牙』、ジョン・ウォーターズの『モンド・トラッショ』などが上映中。そして、最終回、つまり『ディープ・スロート』のプレミアが開かれる日の上映作は、セルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』、チャールトン・ヘストンの『地球最後の男 オメガマン』、そして黒人西部劇『ブラックライダー』だ。特に白人男がひとり生き残る『地球最後の男 オメガマン』のセレクトは気が利いている気がする。
 そういえば、劇中では学生たちが「『恐怖のメロディ』と『わらの犬』のどっちを見に行く?」みたいなセリフもあった。『THE WIRE/ザ・ワイヤー』でも映画ネタはちょくちょく出てきたが、このクリエイター・チーム、映画マニアぶりもなかなか楽しい。
 そして、いまや時代色を表現する最大のツールとなったの音楽だが、もちろん期待を裏切らない。ジュークボックスから流れる「ライオンは寝ている」を「意味が分からん」と怒るフランキーやヴェルヴェットの「Pale Blue Eyes」を聞くアビー。さりげなく劇中で流れてくるジェームズ・ブラウン、アイザック・ヘイズからマンゴ・ジェリー、ゲス・フー、デヴィッド・ボウイからハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズまで、1971〜72年を飾ったヒット曲がさりげなく流れるのだが、あまり「これみよがし」にならないようさりげなく使われているのも好感が持てる。
 忘れちゃいけない毎回オープニングを飾る主題歌は、カーティス・メイフィールドのファーストアルバムから「(Don’t Worry) If There’s a Hell Below, We’re All Going to Go」だ。題名の意味は「もし地獄があっても、俺たち全員地獄行きだから心配するな」みたいなことだが、同様にポン引きが主人公だったブラック映画の名作『スーパーフライ』(72年)でカーティス・メイフィールドが一世を風靡する前のソロアルバム第1作(70年)の最初の曲。オリジナルのサイケ(?)なイントロ部分は編集でカットして、威勢のいい出だしから流れる。この歌自体「シスターズ ニガーズ ホワイティーズ ジューズ クラッカーズ(姉ちゃん、黒人、白人、ユダヤ人、貧乏白人)よ、みんなおんなじだよ」と自由平等を歌っている。
 
 『ベスト・キッド』のラルフ・マッチョが出てるというので、どこかなあ、と思っていたらキザな汚職警官の役だった。「オウ・ルヴォワール」じゃなくて「オウ・レザボワ〜」と言って去っていくのだが、これは『レザボワ・ドッグス』とかけたギャグなんだろうか(まさか)、よくわからん。2018年秋に始まるという第2シーズンには『セルピコ』とか出てこないかなあ、と勝手に期待して待っていよう。
 スターチャンネルは有料・衛星放送だが、もちろんホカシが入る。まあ、放映されただけでもすごいことだというべきなのだろうが、いまだにボカシだらけの日本の検閲(というか自主規制)はどんなもんなんだと思わざるを得ない。あらためて、この国は表現の自由がない国なのだ。

by 無用ノ介

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